熊野古道・茂の一人大峯奥駈道縦走(逆峰)紀行
Date 2005-4-29 〜 2005-5-3
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5番関(女人結界門前)にて(4/29)
弥山山頂(4/30)釈迦ヶ岳山頂(5/1)

大峯奥駈道縦走、大胆な事を思いついてから10ヶ月、一人「大峯奥駈道」が不安と期待の中、18キロ 近い荷物と共に始まった。ちょうど一年前、小辺地から始めた古道歩きの中で、最難関、距離も日程も最長 のコースだ。天気予報では、中2日ほどは雨とのこと半分開き直ってスタートした。
4月29日(金) 自宅…六田〜吉野山〜青根ヶ峰〜山上ヶ岳〜小笹避難小屋(泊) 天気:晴
早朝4時起床。4時45分夜明け前自宅からリュックを担いで自転車で近鉄南大阪線「二上山」駅へ向う。貸切り状態の近鉄電車で「六田」駅へ。終点の吉野駅や、金峯神社から歩き始める人も多いようだが、「逆峰」のスタートへのこだわりで、6時半「六田」からの長い一日が始まる。
美吉野橋を渡り、古道の入口に掛かる。近所のおばさんに吉野へはもう少し先といわれ10分少々の無駄足を踏む事に。地図を頼りに民家の脇を抜け目的の古道へ。吉野神宮脇を抜け、七曲り坂から吉野の町に入る。桜吹雪に見とれて、コースアウトをしながらも、水分(みくまり)神社へ到着。金峯神社から奥駈道へ入る。このあたりで、奥駈道を歩く人に出会い始める。その数、6,7人。皆、吉野駅や金峯神社から歩き始めたとの事。四寸岩山で早めの昼食休憩。百丁茶屋から、大天井ヶ岳を目指す。(大半の人は巻き道<いわゆるバイパス>で五番関へ行くようだ)山頂手前は登り応えがあった。携帯電話もここまで(俗世間と暫しの別れ)。五番関へ降りてきた所で東京からの学生さんと一緒になる。彼も4泊5日で本宮を目指すとのこと。「女人結界門」前でお互いに記念写真。今宿茶屋跡を過ぎたところで残雪に遭遇。時折雪解け水でのどを潤わせながら進む(この先「孔雀岳」を過ぎるまで日陰では残雪が)。「西の覗」を過ぎて、大峯山寺のある、山上ヶ岳へ到着。宿坊の軒下を借りて野宿する予定であったが、3日の山開きに向けた準備で仮オープン中。素泊まりはOKとの事であったが、時間も早いので「小笹避難小屋」へ行く事に。5時過ぎ「小笹避難小屋」に到着。初めての山小屋泊まり。想像より小さな小屋で5人程度しか泊まれそうにない^^;。周りには色とりどりのテントが十数張りも。不安の中、ドアを開けて覗くと、小屋はすでに先着者で一杯の状態。「テント」持参の3人組に外に出てもらうことで交渉成立。山男に感謝!寝場所の確保をして、夕食の準備(カツ丼とラーメン)。食事と翌日の準備など終え、7時過ぎに6人で互い違いに寝袋に入り就寝。
★1日目(4/29)のデータ
地点時間標高
近鉄六田駅6:30149m
四寸岩山11:141236m
大天井ヶ岳13:221439m
五番関14:131211m
山上ヶ岳16:361719m
小篠宿17:101636m
所要時間10時間40分
休憩時間32分
ロスタイム20分
実時間9時間48分
走破距離26.4Km
標高差(+)+2,544m
標高差(-)-1,051m
[先頭]
4月30日(土) 小笹避難小屋〜行者還〜弥山小屋(泊) 天気:晴
初めての山小屋、熟睡はできず。5時過ぎ起床。朝食(きのこご飯とみそ汁)と、給水を終え、5時50分スタート。昨日途中から一緒だった「東京」からの若者は5時半過ぎに先発した。
 今日のコースは楽なはず、であったが、昨日の疲れか、体が重い。ゆっくりと歩き始める。天川辻を過ぎたところで、早めの昼食(わかめご飯)を摂る。奥駈道出合で、天川・洞川の行者還トンネル西口から登ってきた神戸からの50人の団体に遭遇。先行も考えたが体調も今ひとつ、無理をせず、後ろにつくことに。時間調整で弥山の手前で2度目の昼食(おこわご飯)。が、前にはまだ先ほどの団体が。2時前に予定を終え、弥山小屋に、やれやれ。立派な山小屋、十数年前に皇太子殿下も泊まった(お泊りになられた)との事。電気は発電機。水は600m程下からくみ上げているとか。トイレも水も、お湯も有料だ。(無理もないか)
宿泊手続き(三食付で、8800円)後、リュックを置き酸性雨で枯れた木々の中を弥山の山頂へ。小屋で買った日本一高価(600円)といわれる缶ビールで一人乾杯。しばし至福のときを過ごす。部屋に戻り与えられたスペース(畳一畳分)の布団(敷き、毛布2枚、掛け)で横になり、しばらくうたた寝。その後、東京からのおばさん二人連れと山行きの話が弾む。4時を過ぎた頃、小篠小屋で一緒だった京都の青年が、その後も次々と宿泊客が到着、今日の宿泊予定者は約30人とのこと。同室に明日「持経の宿」まで行くという人もいた。朝5時に出発するらしい。昨年は時間不足で太古の辻から前鬼へ下ったとの事。多少不安になる。六時夕食。ご飯はお替り自由だ。七時過ぎ就寝。ラジオの天気予報によると、明日は午前の遅い時間から雨との事。
★2日目(4/30)のデータ
地点時間標高
小篠宿5:501636m
大普賢岳7:151780m
天川辻10:05
一の垰11:271458m
奥駈出合11:55
弥山小屋13:401880m
所要時間7時間50分
休憩時間34分
ロスタイム0分
実時間7時間16分
走破距離13.2Km
標高差(+)+1,212m
標高差(-)-976m
[先頭]
5月1日(日) 弥山小屋〜八経ヶ岳〜釈迦ヶ岳〜深仙の宿〜持経ノ宿(泊) 天気:曇り後雨
同室の宿泊者のイビキと寝言でまたまた熟睡できず。5時起床。出発準備をする。6時朝食(ご飯2杯とみそ汁)、6時15分スタート。生ぬるい風。昨日までの天気とは打って変わり、いまにも雨が。ガスが掛かって数十メートルしか視界が効かない。どこまで雨がもってくれるか。近畿最高峰の八経ヶ岳を経て、残雪のコースを戸惑いながら進む。楊子ガ宿で5時に出発した人に追いつく。両部分け付近でコースアウト。絶壁に出てしまい、しばし行く手を阻まれる。踏み後くっきり、ほかの人も結構同じコースを取ったようだ。落木で"×"の目印をつけておいた。10時半過ぎ、とうとう雨が降り始め「雨具」を着る。雨で足元の悪くなった登山道を後続者、先行者10人くらいで山頂を目指す。11時過ぎ「釈迦ヶ岳」到着。「釈迦の銅像」の大きさに絶句!晴れていれば眺望が期待できたが残念。記念撮影、しばし休憩。昨夜のイビキの団体とともに山頂をあとに、深仙の宿へ下る。「深仙の宿」で休憩。香精水は枯れていた。水不足のようだ。12時過ぎ「太古の辻」へ到着。直進すれば「本宮」へ左折すれば「前鬼」だ。全工程の半分が終わった。南奥駈に足を踏み入れる。石楠花ヶ岳山頂で遅めの「昼食」(弁当)。雨脚は強くなる。天気予報によると、明日の朝には上がるとの事。あたる事を願う。「滝川辻」付近で山つつじに出会う。南に来ている証拠だ。「涅槃岳」に登る途中、大木から水(雨)が滴り落ちている、ペットボトルに給水。5時前に「持経ノ宿」へ到着。寝る場所は有るかと心配していたが、階下にはトイレや部屋では火が炊ける掘り込みも備えた広い小屋で一安心。奥駈縦走の4人(新潟、千葉、東京、神戸と多彩)と、3人の行者が先着していた。湧き水もあり、水も補充。夕食(親子丼と雑煮)をとりながら明日の天気予報をラジオで聞く。朝には雨が上がりそう。濡れた靴に持参の新聞を詰める。皆で明日の予定や道の状態などを話しながら行者さんの吹く法螺貝の音を聞きつつ7時半頃就寝。雨は夜中にはさらに強くなり、朝方4時頃まで降っていた。(弥山小屋で同質だった人は結局「持経ノ宿」へ来なかった。途中「釈迦ヶ岳」までは、後ろに見えていたのに、また「前鬼」へ降りたのかな?)
★3日目(5/1)のデータ
地点時間標高
弥山小屋6:151895m
八経ヶ岳6:341915m
釈迦ヶ岳11:051800m
太古の辻12:13
滝川辻14:56
持経ノ宿16:48
所要時間10時間34分
休憩時間24分
ロスタイム5分
実時間10時間05分
走破距離19.1Km
標高差(+)+1,218m
標高差(-)-2,036m
[先頭]
5月2日(月)  持経ノ宿〜行仙岳〜笠捨山〜玉置神社(泊) 天気:晴
5時、行者の朝の勤めに目を覚ます。日の出に合わせて法螺貝の音を聞き、元気付けられる。昨日の天気とは打って変わって良い天気だ。朝食(おこわ御飯とみそ汁)、給水を済ませ、5時50分に神戸からの青年と一緒にお堂へ賽銭を入れスタート。行仙岳で、前日「平治ノ宿」に泊まった人に追いつく。行仙山小屋では「山彦グループ」の人に水を分けてもらう。命の水だ。笠捨山まで4人で前後しながら進む。これまでで一番きつい登りだ。ここまでに比べると山は低くなっているはずだが甘くはない。神戸からの青年にはここから先行された。葛川辻付近で歩きながら昼食(五目ごはん)を済ます。地蔵岳では、岩への登りが分からず「巻道、危険」と赤字で書いてある道へ、崩壊したがけを泥だらけになりながら下り、登ることに。振り返って見れば鎖が見えた。あと50cmほど岩に取り付いていたら苦労せずに済んだようだ(^_^;)。鎖の命綱に頼ったり、岩に取り付いたりしながら地蔵岳を後にする。このあたりには湧き水も無い。「上葛川」までくだらないといけないようだ。行仙山小屋で水を分けてもらっていなければ大変なことに。玉置神社方面からの登山者にもすれ違うようになる。鶯の音が聞こえ「ツツジ」や「シャクナゲ」の群生も目に付くようになる。玉置山への最後の登りに掛かる。途中に有った「花折塚」は「王寺・片岡の人」の碑とのこと。王寺から来たことを告げ後にする。「展望台」に到着。玉置神社へはあと少し。よく来たものだ。ここでしばし休憩。「携帯電話」も通じ「人」の住む世界へ近づいたことを感じる。自宅へ到着報告をする。玉置山を経て5時前玉置神社へ到着。途中で前後した前日「行仙山小屋」泊の東京からの兄妹とも合流。掛け湯ながら4日ぶりのお風呂に疲れも吹き飛ぶ。部屋に戻り、夕食まで「暖かいお茶」を飲みながらしばし歓談。ニ食付で5500円也。お替りは自由。なお、ここは禁酒・禁煙との事(奥駈修行の地、当然か)。遅めの夕食後、4日ぶりのコーヒーをご馳走になりさらに歓談。宿泊客は20人くらい、9時広い部屋に三人で就寝。
★4日目(5/2)のデータ
地点時間標高
持経ノ宿5:50
行仙岳8:461227m
笠捨山10:531352m
花折塚15:43952m
玉置山16:321076m
玉置神社16:49
所要時間11時間06分
休憩時間30分
ロスタイム5分
実時間10時間31分
走破距離20.1Km
標高差(+)+1,632m
標高差(-)-1,732m
[先頭]
5月3日(火) 玉置神社〜大森山〜五大尊岳〜七越峠〜備崎〜熊野本宮 天気:晴
5時前起床。同室の二人を起こさないように出発準備。朝食を済ませて、5時半奥駈道最終日スタート。神社下の駐車場にテントが二張り見える。今日は今までよりは低い山ばかりと気楽に考えて歩き始める。後でこれが大きな間違いであることを思い知らされる。大森山山頂手前で、東京在住のロシア人とすれ違う。前日、コースアウト後、下の村で野宿したとの事。水も尽きている様子、手持ちの水を譲ってお互いの健闘を誓い別れる。大森山からは急なくだりで枯れ葉が積もっており滑りやすく一苦労、五大尊岳への登りは鎖もある険しい山。大黒天神岳山頂で休憩後スタートするが、右折すべきところを左折してしまい5分くらい山を下って気づき元に戻る。案内表示板は本宮に向う人用ではなく、玉置山へ向う人用であることに気づく。眼下に流れる「熊野川」を見ながら、吹越峠、七越峠を過ぎる。備崎で川原に降り、熊野川越えに「大斎原」へトライするが、水深が深く川越えを諦め備崎橋を渡って本宮を目指す。1時半過ぎ本宮大社に到着。これで、昨年来5度目の熊野本宮大社詣だ。無事での到着報告後、社務所で交通安全のお札とお守りを購入。4泊5日の大峯奥駈道が終わった。達成感と爽快感にしばし浸る。
旧道の石段を下り、本宮バス停へ。4日目に一緒だった神戸の青年が先着していた。12時半過ぎに到着したとの事だった。東京からの学生さんは、テントを持っていなかったが、本宮にゴールできたかな?トイレで着替え、大社前の土産物屋でお土産とビールを買い求める。ここで例のロシア人も出会った。昨日は途中の崖で転落し野宿したとの事。今回は玉置神社までで、吉野へ行くのを諦め、車に便乗して下山、残念そうで有った。バス停にて玉置神社で作ってもらった弁当で少し遅めの昼食を済ませる。3時10分紀伊田辺行きのバスに神戸の青年と一緒に乗る。田辺の駅で「月見うどん」を食べる。おいしい。JRを乗り継ぎ、9時前自宅到着。
★5日目(5/3)のデータ
地点時間標高
玉置神社5:30
本宮辻5:52
大森山7:181078m
大黒天神岳9:50574m
備崎12:5641m
熊野本宮13:40
所要時間8時間10分
休憩時間5分
ロスタイム21分
実時間7時間44分
走破距離19.0Km
標高差(+)+945m
標高差(-)-1,837m
[先頭]
☆独り言
歩いているときは、雨にも遭遇。足裏には「まめ」もできた。なすがままと、手入れもせず歩きとおした。慣 れれば歩けるものだ。初日と二日目は体が慣れていなかった為か、初めての山小屋白の為か、体調も今 ひとつだった。弥山小屋に泊まって、腹いっぱいのご飯を食べて生気がみなぎってきた気がする。このおか げで雨の三日目もそれ以降も無事歩きとおせた様に思う。初日と二日目は、今回で古道歩きは終わりにし ようと思いながら歩いていたが、三日目からは来春もう一度来ようと思いながら足を進めていた。後半は足 裏の「まめ」のためか、登りよりも、下りが大変だった。ストックで足元を確保しながらの歩きだった。(そういえば皆あまりストックを持っていなかったように思う。持っていても使っていなかった。何故かな?岩場が多いからだろうか。)
何度か道にも迷い、しんどい思いもした。熟睡ができた日は一日も無かった。色々苦労はしたが、5日間が終わって見れば、考えていたよりも楽に終わったように思えた。
自宅に戻って4日が過ぎ足や腕の浮腫みも少し引いてきた。楽に終わった様にも思えたがそうではなか った事を実感している。体調が戻るまでにはもうしばらく掛かりそうだ。一週間が過ぎた頃から腰痛に。座っ たり立ったりが大変だった。完治には5日ほど掛かった。やはり、無理がたたったのかな。山小屋で寝たと きに、板の間だったのが駄目だったのかな?次(今夏か来春)は荷物を調整しリュックを軽くし、エアーマッ トとテントを追加して、大峯奥駈道道・順峰に挑戦をしよう。その前に脚力と上半身を鍛えるのが先決だ。
◇歩いて通った町や村
(奈良県)大淀町、吉野町、黒滝村、川上村、天川村、上北山村、下北山村、十津川村
(和歌山県)熊野川町、本宮町

◇カシミール3Dデータによる標高差データ
距離:97.8Km、累計標高(+)7,676m (-)7,750m (合計)15,426m
スタート地点:149m、最高地:八経ヶ岳:1915m、ゴール地点:49m、高低差:1866m


◇個人データ

出発前奥駈後
体重67.3Kg65.3Kg
荷物18.8Kg13.3Kg
内(水)4リットル0リットル

所要時間休憩ロス実時間歩数距離スピード
4/2910時間40分32分20分9時間48分62,15026.4Km2.7Km/h
4/307時間50分34分
7時間16分30,67813.1Km1.8Km/h
5/110時間34分24分5分10時間05分44,09419.2Km1.9Km/h
5/211時間06分30分5分10時間31分46,04220.1Km1.9Km/h
5/38時間10分5分15分7時間44分41,33619.0Km2.5Km/h
合計48時間20分2時間5分51分45時間24分224,30097.8Km2.2Km/h
◇標準:大峯奥駈道道全縦走:7泊8日/53時間(山と渓谷社)
 六田〜吉野山(宿坊)〜山上ヶ岳(宿坊)〜行者還宿〜弥山小屋〜深仙宿〜行仙宿〜玉置神社(宿坊)〜本宮

◇持参した荷物
リュック(45l)、ストック2本、寝袋、ガストップ、ガスボンベ、コヘル、リュックカバー、スパッツ、 箸、スプーン、懐中電気、ウエストバック、携帯電話、同充電器、デジカメ、、同充電器、乾電池 レインウエア、ウインドブレーカー、ソックス(3)、パンツ(2)、ズボン(2)、シャツ、タオル(3)、 スボン(帰り用)、パンツ(帰り用)、Tシャツ
白飯(2)、おこわご飯、きのこご飯(2)、わかめご飯、五目御飯、赤飯、カツどん、ラーメン、 味噌汁(2)、親子丼、雑煮、カロリーメイト(2)[X]、チョコ(2)、もっちパン(2)、バタピー、 一口ヨーカン(12)、ウイダーイン[X]、アミノタブレット、アクエリアス粉(5)、氷砂糖[X]、水3L
ティッシュ、歯ブラシ、T字カミソリ[X]、日焼け止め、石鹸、シップ[X]、バンドエイド、ライター、 地図(1/50000、1/25000)、ノート、筆記用具、方位磁石、古新聞

◇参考資料
「吉野・大峯の古道を歩く」山と渓谷社
「ヤマケイ関西No.4大峰山脈・大台ケ原」山と渓谷社
「同上」付録「大峯奥駈道登山マップ」山と渓谷社
◇使用した国土地理院地図:1/25,000


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